空家であったご実家の解体と新築の施工。隣接する畑に物置の設置。2年に渡り工事させて頂いたお客様からのお声です。新築への想いの詰まった文面ですのでご紹介させて頂きます。
担当より

 

「マイホームへの軌跡」

 

動機

私は30歳の時に結婚し、伊丹市でマンションを購入し暮らしておりましたが、子供が生まれてから手狭になり、平成2年に三田市に新居を建て暮らしておりました。63歳で仕事を辞め、悠々自適の生活でしたが、夫婦の老後を考えるようになり、妻の希望だった妻の実家に移り住むことにしたのです。妻の両親は他界し、妻の姉夫婦が農業をしながら畑や実家の管理をしておりましたが、実家は老朽化が著しく建替を決意するに至りました。

 

倉庫建設に着手

実家には母屋と離れと蔵がありましたが、床が抜け落ちシロアリの被害が著しく、すべて解体撤去することにしました。農業や民宿を営んでいたこともあり、新居建設に当たり、大量の家財道具を保管する倉庫を建てる必要がありました。

どんな倉庫を建てたらよいのか皆目見当がつかず、ネットで物置や倉庫のデジタルカタログを見て参考にしました。

姉夫婦が実家を拠点として点在する耕作地での農業や管理をしていた現況を保持するため、新設する倉庫には、トイレやシャワー室、洗濯機や流し台が必要となるだろうと考え、そのプランを著名な倉庫メーカーの資材取扱店にメール相談したところ、そのような建設は可能だが建築確認等の手続きはできないので、地元の工務店に依頼したほうが良いとの回答がありました。

知っている工務店は無く、不安に駆られながらネットで豊岡市内の全工務店を検索し、地図アプリの航空写真で位置確認をしていたところ、緑色の大きな屋根の工務店に目が止まりました。吸い寄せられるように工務店のホームページにたどり着きました。社員の顔写真やコメントが掲載されており、女性が多いというのが第一印象でした。

問い合わせメールで自分の思いを伝えたところ、女性担当者から心温まる返信があり、今までの不安が一気に払拭されたのでした。その後、担当者と何度か連絡を取り合い、現地で打ち合わせをすることになりました。初顔合わせにも関わらず、メールでやりとりしていたせいでしょうか、知り合いのような親近感があり安堵しました。

倉庫を建てる場所は、傾斜地で道路より低いため盛り土をしてから基礎工事に入りました。工事を見た近隣の方が強固な基礎作りに驚いておられました。やがて倉庫が完成し、何度も通い、義姉夫婦の協力も得て家財道具を運び入れることができました。

 

新築設計

実家の解体工事の前に、工務店と何度か打ち合わせをして新居の設計に取り掛かりました。設計図が出来てからも、収納不足や使い勝手などを見直しする必要が生じ、それに伴い経費も大幅に嵩むので、理想と現実のギャップに苦慮しました。夫婦で熟考した結果、切妻屋根の平屋建て、壁や屋根は軽量なガルバニュウム鋼板に、室内の壁や天井の下地材はすべて構造用合板にするなど地震に強い構造の家にすることになりました。

 

新築工事着手

実家の解体工事は、重機と作業員の巧みな連携により順調に進み何もない空地になりました。やがて新築工事が始まる事になりましたが、地鎮祭や棟上げ式では、関係者や職人さんたちの前で挨拶をするのですが、子供の頃から人前で話すのは震えるほど苦手で、何を話せばよいのかわからず悩みました。しかし、本番では度胸が据わり落ち着いて話すことが出来ました。

 

引き渡し式

新居の完成後、工務店からの申し出があり、現地見学会を実施することにしました。日時や場所を新聞の折込み広告で周知し、2日間の日程で実施されました。来られた方は殆ど家族で真剣な眼差しで見ておられました。区長さんや近隣の住民の方も見に来てくださり、親睦が図れました。

その後、引渡しの日が決まり、やっと新居に住めるという思いで心が躍りました。引渡し当日は、厳粛な雰囲気の中で、2年間に渡りお世話になった担当者の方の司会で執り行われましたが、記念撮影やテープカットなどが進行する中、感極まって涙ぐまれるというパプニングがありました。また、現場監督からの工事発注のお礼があり、都合で実現できなかった外構工事をするときはぜひ当工務店に任せてほしいというお願いもありました。最後に、社長さんから表札をプレゼントしたいと申し出があるなど、記憶に残るような感動的なフィナーレとなりました。

 

最後に

満足する家を作るには、人生で3回家を作る必要があると知人から聞いたことがあります。生活スタイルの変化に応じて住まいも変わるとのことでしょうが、この新居はまさしく人生3回目の家なのです。多くの方々の尽力により、完成した新居を「終の棲家」として大切にして、夫婦で新たな人生を歩んでいきたいと思います。